ジャーディン・マセソン・ホールディングス Wikipediaより引用
前身は東インド会社で、元は貿易商社。1832年、スコットランド出身のイギリス東インド会社元船医で貿易商人のウィリアム・ジャーディンとジェームス・マセソンにより、中国の広州(沙面島)に設立された。中国語名は「怡和洋行」。当時、広州は広東システム体制下、ヨーロッパ商人に唯一開かれた貿易港であった。
設立当初の主な業務は、アヘンの密輸と茶のイギリスへの輸出。香港上海銀行(HSBC)は、ジャーディン・マセソンなどが香港で稼いだ資金をイギリス本国に送金するために設立された銀行である。
現在の本社所在地は香港の香港島にあるが、最初に設立されたのは広州市の沙面島の疎開地区。沙面島を歩いてい探してみたが、ジャーディン・マセソンの建物は見つけられなかった。
この会社を興味を持って調べていくことは大英帝国が非常にうまく植民地投資をしていたかがわかる。1949年中華人民共和国設立後、中国大陸に有った支店網( 青島、広州、汕頭、福州、長沙、昆明、アモイ、北平(北京)、鎮江、南京、蕪湖、九江、宜昌、沙市、重慶など)1954年にすべて中国に接収・没収されている。
ジャーディン・マセソン商会は長崎、横浜にも支店開設、日本の物産買付、ヨーロッパの薬・織物などの日本に持ってきて販売していたらしい。当時から日本の政財界と強いつながりを持ち続けていたことがわかります。
下記にジャーディン・マセソングループ企業を示します。下の香港企業はどれも一度は聞いたことがある有名な会社です。香港経済のかなりの部分をカバーしていることがわかります。
主なジャーディン系企業
- ジャーディン・パシフィック(怡和太平洋)
- ジャーディン・モーターズ・グループ(怡和汽車集團)
- ジャーディン・ロイド・トンプソン(怡和保險顧問集團) – ロンドン証券取引所上場
- ジャーディン・ストラテジック・ホールディングス(怡和策略控股) – ロンドン証券取引所上場、シンガポール証券取引所上場
- ジャーディン・サイクル・アンド・キャリッジ(怡和合發) – シンガポール証券取引所上場
- ジャーディン・シンドラー(怡和迅達) – シンドラーエレベータと折半出資の合弁会社
- ジャーディン・ワンソリューション(怡和科技)
- ジャーディン・レストラン・グループ(怡和飲食集團)
- ピザハット(必勝客)
- ケンタッキーフライドチキン(肯德基)
- 香港ランド(香港置地)
- デイリー・ファーム(牛奶國際有限公司)本部はバミューダ。ロンドン証券取引所上場、シンガポール証券取引所上場
- ウェルカム(惠康(台湾では頂好)) – スーパーマーケット
- マーケットプレイス – 高級スーパーマーケット。香港・台湾・中国大陸・シンガポールで展開、名称は各地で一部異なる
- マンニングス(萬寧) – ドラッグストア
- セブンイレブン香港(七・十一)
- セブンイレブン・シンガポール(七・十一)
- セブンイレブン中国華南(広東賽壱便利店) – 広東信捷商務発展との合弁会社
- イケア香港(宜家家居)
- イケア台湾(宜家家居)
- 美心食品有限公司(マキシムズ・グループ) – 株を50%保有
- スターバックス香港(星巴克咖啡)
- スターバックス・マカオ(星巴克咖啡)
- スターバックス中国華南(星巴克咖啡)
- スターバックス中国西南(星巴克咖啡)
- 元気寿司
- マンダリン・オリエンタルホテルグループ(文華東方國際) – ザ・オリエンタル・バンコク、マンダリン・オリエンタル香港、マンダリン・オリエンタル東京等
この会社は日本の歴史の表舞台には出てきていないが、当時の三菱財閥、日本政界とのつながりがあり、一企業との枠を超えた活動をおこなっていたことがわかります。坂本龍馬、伊藤博文なども金銭面でこの会社から支援を受けていたのかもしれない。特に坂本龍馬は下級武士の出身で脱藩後はお金が無いのに海援隊設立。そのお金はどこから流れてきたのか? 「ジャーディン・マセソン商会」長崎代理店「グラバー商会」が支援していたと言われている。
中国全土にスタバがこれほどまでに普及したのはもしかすると香港ジャーディン・マセソン商会の展開力が優秀で有ったからかもしれない。