映画「楽園」を鑑賞

 楽園」は、綾野剛・杉崎花・佐藤浩一出演のサスペンス映画です。
アマゾンプライムで見れます。

 あらすじ↓
映画「楽園」は、吉田修一の短編集「犯罪小説集」を原作としています。「犯罪小説集」はフィクションですが、ベースとなったのは実際に起きた事件です。事件をきっかけに、舞台となった集落は地獄と化。誰かを村八分にすることで、均衡を保っていたのでした。

 この映画でわかることは共同体、組織における村八分の問題だと思う。
だれが本当の犯人であるか?それはこの映画では明確に表現されていない。

 多分、村人全員が犯人なんだということ表現したかったのだろうと思う。
日本の村社会(組織)においては外からやってきた者に過敏に反応。
いまの日本の社会は外国からいろいろな人達がやってきて日本社会に定住している。
それは現実であり、避けては通れないことだと思う。
 もともとそのコミュニティにいる人達は外からきたよそ者に対して、拒絶反応をしてしまい、変化したくない。
変化を恐れるのはだれでも同じだと同じ。
 特に日本のような安定している社会は変化を恐れるのではないだろうか?
自分の生まれ育ったところで生活したほうが、居心地がいいに決まっている。現に私もそうであった。

 しかし、よくよく考えてみると気のあった者同士で小さいときからずっと同じコミュニティで生活していると行き詰まってくると思う。組織が硬直してしまい社会の変化に対応できなくなってしまう。
 この映画では村内の親戚、顔なじみ、気のあった人達の交流が描かれている。しかし、客観的にみると限界村落である。もう先がないのである。顔なじみで気心のお互い知れた人だちだけではもう先がないのである。

 この映画をみていると現代の日本地方都市の側面を垣間見るようである。
逃げ場のない組織はすごく生存しずらく、皆死んでしまうのである。
 この映画はいろいろな視点で考えさせられる映画である。

まとめ↓

日本の社会(組織)は逃げられない。

中国の社会(組織)は逃げることができる。

日本はなぜ逃げられないのか、それは管理が厳しいからだと思う。
逃げられない社会は自殺者が多くなる。
逃げられる社会は逃亡者が多くなる。