9月17日、久しぶりに嫁にいい映画があるということで日曜日に映画館に足を運んだ。
映画の内容(すべたタイ語、字幕は中国語)
タイの華僑(中国潮州から移民してきた家族を描いている。)
一人ぐらいのおばあさんがガンステージ3。
外孫は一人暮らしのおばあさんの家に行きおばあさんの身の回りの世話を始める。
外孫の魂胆はおばあさんが死亡するまでを見届けて、おばあさんの遺産を引き継ごうという魂胆である。
映画の最後に孫はおばあさんが孫に残した一部のお金を引き継ぐことになる。
中国人嫁の話だと映画の内容は現在の中国でも同じ内容のことがある。
何が同じなのか?それは華僑社会は男系社会ということである。
日本の明治憲法でも長男が親の遺産をすべて引き継ぐ内容と同じ。
中国も日本も同じ。
中国の現在の法律では何も遺言がなければ、日本と同じく、残された遺族は公平に遺産を引き継ぐらしい。しかし、現実は長男が親の遺産を引き継ぐ。
中国大陸の社会(特に南方地域) 男性の立場が強い。
中国大陸の北方はそうでもないらしい。
タイ華僑社会でも男性の立場は強い。(潮州は広東省の中の一部の地域)だから男性の立場は強い。
中国語では重男轻女 という。字のごとく男を重視して女性を軽んじる。とでもいうのだろうか。
おばあちゃんががんで余命が迫っている時におばあちゃんが所有しているバンコク市内の不動産についておばあちゃんの息子娘たちが不動産はだれが手にするのかに関心が集まる。
その時におばあちゃんが自分の旦那がなくなるときのことを思い出す。
旦那が亡くなるまでおばあちゃんは必死に看病したが、旦那の遺言は財産を自分の息子にほとんど譲った。(おばあちゃんの旦那の遺言にはそう書かれてあった。)
おばあちゃんが死ぬ間際に自分も習慣に従い、自分の長男に財産を譲ろうとしていたことに気が付く。
映画の中ではおばあちゃんの言葉はないが、映像でおばあちゃんが何をおもっているのがか、表現されている。とても描写が細かい映画だ。
タイ映画と中国映画では映像で心理描写を描くのが上手だと感じる。
私の嫁の話にもどるが、嫁のおばあちゃんも子供がたくさんいて2男+5女というらしい。
おばあちゃんが亡くなった時もタイ映画と同じで長男が財産をほぼ引き継いだらしい。
そのかわり、長男は自分の母親と同居して実母の面倒を死ぬまで見る。
嫁のおばあちゃんはお世辞にもいい家に住んでいない。悪く言うとあばらや見たいな家に息子と息子の嫁、孫と一緒に住んでいた。
私が疑問に思っていたことは息子の家は非常に住みにくい家であったが、おばあちゃんはその家に死ぬまで住んでいた。息子は収入が少なく家を新築することができなかった。しかし、おばあちゃんは息子の面子を守るためにあばら家にずっと住んでいる。
以前、私が何も知らずに嫁の母親の家に移り住んではどうかと質問したが、おばあちゃんは移動せずに、ずっと息子夫婦と同居生活をしていた。
これはある種の取引?息子はおばあちゃんと同居して面倒を見る。おばあちゃんが亡くなったあとはおばあちゃんの不動産を相続する。
昔、伊丹監督の「お葬式」という映画があったが、それに通じるものがあると思う。
しかし、現代社会は孫がおばあちゃんの遺産を狙っている。時代は変わったものである。
この映画に出てくる孫はどこにでもいる学校出たてのプータローという設定だろう。
特に悪意をもっておばあちゃんの遺産を狙っているようには描写されていない。
楽してお金を手に入れたという今の若者の考えなのだろう。
効率を求めるならば、私おらくしてお金を手に入れたいです。
タイの映画ではこの辺りのことが非常に細かく表現されており、すごく奥の深い映画だと感心した。
こういう家族の人間関係(おばあちゃん、おじいさん、息子、娘、孫)を描いた映画は中国人は非常に好きなんだろうと思う。なぜなら、中国人は家族関係、親戚付き合いを重視するから。
私が小学生時代40年前、日本でも親戚付き合い、家族関係を非常に大事にしていたことを思い出す。
今は人間と人間の関係が希薄になっていると思うのは私だけではない。むしろ中国人の方が熱く親戚との人間関係を大事にしているのかもしれない。(実際のところは私もわからない。)
日本人にとって、タイ映画は縁がないと思うが、タイ映画を鑑賞してみるといい映画だと思った。
たまには外国映画もいいですね。
私ひとりだとこういう映画はまず見ないだろう。嫁に騙されたと思って、見に行った映画はなかなか良かった。嫁に感謝します。
出演者は中国人のようだが、皆タイ人華僑だろう。
おばあちゃんが丸坊主なのは抗がん剤服用、毛が抜け落ちてしまっている。
エンディングはタイ語、英語。
中国語はない。