Quantitative method and Qualitative method. 数値で測れるものと数値ではかれないもの。

Quantitative method:定量的・数字を使いデータを収集して分析する。=>数字で判断される。
Qualitative method :数値で測れないもの、数値で測りきれないもの。=>数値で判断できない。

20230325、ユーチューブの動画サイトを見ていると上記のことを話していたので、メモを取った。
現在の社会の方向は「Quantitative method」であると思う。

欧米ではそういう方法で評価されるらしい。例えば、企業で評価方法として使われているKPIなどはその代表的なものだろう。
会社の業績などもすべて数値で表記される。(財務諸表、P/L、BSなど)
よく考えてみると世の中すべて数値だけで表現されているといっていいかもしれない。
自分の残された人生などもそうである。人生70歳としたら、私の残された年数はあと19年ほどである。
日数にすると19年*365日=6935日
数字で表すとたったこれだけの時間であることがあらためてわかる。
正直言って、なんと短い時間だ。

残された人生の中で自分が本当にやりたいことは何だろうか?
人生の消化試合をしてのうのうと毎日時間を浪費して生きていていいのだろうか?

その逆で Qualitative methodというものもある。定量的に測れないものだ。
私なりにいれば、量よりも質といってもいいかもしれない。
世の中すべて数値だけで測定できるとは思わない。数値で測れないものもかならずあるはずだ。
自分の幸福、満足度などは明確に数値で測定できるわけはない。

こういったことを考えるということは私自身の動物的な感が働き、自分の人生はもう長くはないということを薄々感づいているのかもしれない。人間のカンというものは結構当たる。
生きていく上での意思決定について、定量的に測れない場合、定性的に考えて判断してきたことの方が多い。なぜなら、将来のことはわからないからである。先のことの予測は定量的数字と定性的に考えて決定されると思う。
 簡単にいうと数字ももちろん参考にするが、動物的なカンも重要だということである。

将来の中国も数年前まで海外よりも内需を重視して意思決定する会社が多かったと思う。しかし、経済状況は変化しており、中国内需はあまりさえず、国内では大きな資本同士のつぶしあいが始まっているといわれている。
ようするにパイが縮小する段階においては大資本が最後には勝つ。