週末に広州市東山口のおしゃれなカフェに一人で行ってみた。On a weekend, I went to a fashionable cafe in Higashiyamaguchi, Guangzhou by myself.

猫头鹰民国洋楼咖啡馆

住所:広州市越秀区保安南街3号前街

趣のあるカフェです。今回始めて訪問しました。客はまばらです。
1階のレジで注文。中はとてもきれいで落ち着いている。
お店の入口は古めかしいが、中に入ってみると部屋が沢山あるカフェです。歴史を感じさせます。写真撮影もOKとのことでした。(お店の人に確認済)
2階テラス席からの光景。周りはすべて洋館です。このあたりに住んでいる人はお金持ち?歴史を感じさせます。沙面のスタバを小さくしたような感じです。こちらの方が静かにくつろぐことができます。気分転換にいいです。
1900年代前半の建築様式の階段。近代建築様式?滋賀大学稜水会館の階段もこのような様式だったと思う。近江兄弟社創立者の一人ヴォーリズの建築様式もこのような感じ。この時代に建築されたものは非常に風格が似ている。当時の流行だったんですね。ファッションと同じかもしれない。こういった建築物が現在でも保存されて使われていることに驚きを感じます。当時広州にいた外国人が住んでいたのだろうか?こういうことを思い浮かべながらコーヒーを飲んで歴史を感じています。
二階のテラス席から1階の露天カフェを撮影。天気が良くていい雰囲気です。

 広州は1800年代末から外国に対して開放的(OPEN)だっとと個人的には認識している。そのため、海外から、中国各地から交易のために多くの人が集まってきていたのだろう。その名残が広州交易会、多くの問屋市場などが現在に引き継がれている。当時から外国人、外地人に対して許容するだけの包容力があり、外から来た人たち(よそ者)に対して特別扱いせずに普通に接して来たのだと思う。

 なぜこういうことを思うのか?それは中国内陸部に行くと広州のようにOPENではないと個人的に感じるからです。(あくまでも個人の独断と偏見も含まれています。)広東省の東莞、深セン、広州は中国の他の都市に比べて外地人が多く集まって経済活動を行っている。これが広東省が経済的に優位を保っている源泉だと思う。日本の地方都市に行くとその土地の人ではなく、よそ者(外地人)が企業して成功している場合が多く有ると思う。パナソニックの創業者の松下幸之助さんも和歌山から大阪に行き成功。近江商人(滋賀県人)も京、大阪に行き成功した場合が多く有ると聞いている。

 時々この歳ぐらい(50歳)になると私も故郷の石川県金沢近辺で仕事、生活をしていたら、どうなっていただろうか?歴史にもしもはありませんが、いろいろ考えてしまいます。私も広東省では外地人です。(成功はしていませんが、、、(^^))広東省でこの20年間、やってこれたのは広東省独特の風土、習慣、気候などが比較的あっていたからかもしれない。

 これからも継続して広東省で生きていくためには日々勉強していくしかありません。勉強しないと中国の変化に取り残されてしまうからです。この歳になって自分を常にアップデートしていきます。