香港滋賀県人会参加

20230513香港滋賀県人会に参加しました。
香港の滋賀県人会に参加したのは2018年が最初だと思います。
今回の参加は三回目になります。

2019年以来3年間も香港にいけなかったし、滋賀県人会にも参加できなかった。

私は滋賀県人ではないが、滋賀にゆかりのある人間ということで参加しています。
最初に滋賀県で生活をしたのは20年以上前になる。
滋賀大学経済学部に編入学したときからだ。

よくよく考えて見ると私の母方の祖父は滋賀県日野町にある酒蔵で小学生の時から丁稚奉公していたと、おじさんから聞いている。
石川県の能登半島は冬は雪が降り、仕事がない。あまり産業がなかったから滋賀県に出稼ぎに行っていたのだと思う。
私も同じように中国に出稼ぎにきているといってもいいかもしれない。

最初に滋賀県に来た時、驚いたのは関西弁を皆さんしゃべっているということである。明らかに石川県の方言とは違う。私が最初に滋賀で関西弁を聞いた時の感覚は「とてもやさしい感じ」だと思った。
よそ者の私を優しくむかえてくれたような感じを受けた。

その思いは今でも変わらない。

滋賀に住んでみてその土地は歴史なども勉強した。特に近江商人については大学で近江商人の講義などがあり、大学で近江商人を研究されている先生もいた。
なぜ、近江から近江商人が輩出されたのか?
いろいろな説があるが、いまだにこれといった明確な回答はない。

下記はWIKIペディアに掲載の近江商人の起源↓

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近江商人の起源

湖上移動習性説

近江の国は、琵琶湖があり、多くの近江商人が船を使用して湖上を移動し、京都や大坂に出て商売をしたという説である。 高島商人や八幡商人には、すぐ目の前が湖であるし、近江高島や近江八幡には、大きな堀があり、この堀に船を浮かべて荷物を運んだという事実は確かである。 しかし、近江日野や五個荘、 湖東三郡の方は、琵琶湖から遠い内陸部である。 近江の地から出たどの商人も商売の形態は「行商」が中心であり、内陸部を周り歩いたのが事実であり、船を利用して湖上を移動した傾向が少ない。

農民生活困窮説

近江の国は、琵琶湖が中央に存在して、全面積の六分の一を占めている関係上、農業生産が少なく、湖岸でも水害が発生し、田畑は多数の領主の支配を受けてきびしい収奪をされていた。 貧農の二男や三男は、地元にこれといった産業もないので苦しい農民生活から離れて商人になったという説である。 反論としては、今も昔も滋賀県は米の産地として産米高は全国でも多い傾向にあり、他国の農民よりも生活に余裕があった。 さらに商人になる以前の職業を分析してみると、貧農よりも酒屋、地主、豪農であった家の息子が多く、農民としての生活に困って商人に転化したというケースは少ない。

楽市・楽座説

近江商人の発生が、室町時代の後期から安土桃山時代にかけて戦国大名が行った経済政策である楽市・楽座からきているという説である。

雪解け説

この「雪解け説」を唱えたのは、小倉栄一郎氏で、その概略は次の通りである。 江戸時代、封建領主は、自分の藩の領域経済を自立させるために、商人に対して種々の統制を行った。 つまり商品が特定の領域経済の意志に基づいて、他藩または天領へ向かって運搬される動きを取り締まった。 全国各地どこの藩でも、経済活動を厳しくして、農民の商人化や離農と移住を厳重に禁止したが、近江八幡や近江日野・近江高島・五個荘の一部では、他藩よりも一足早い時期に経済統制が緩みはじめ、自由な商業活動への道が開けた。 これはちょうど雪原が解けて雪割草が白い花を咲かせる現象と同じなので、小倉栄一郎氏は、「雪解け説」と名づけた。

交通要衝説

この説は、近江の国は近くに文化都市の京都や商業都市の大阪が存在し、古代から交通の要衝であったから商人が数多く生まれたという説である。 近江は、東海道、北陸道、中山道、西近江路など、申し分のない交通網があって、草津や大津の宿で泊まり、逢坂山を越えるとすぐに京都で、そこから大阪まで歩いていくと、山陽道や山陰道に出て、西国地方へと通じる道がある。 交通要衝説は、商業活動に大切な条件を備えており、特に湖東地方は、東海道、北陸道、中山道と三つの街道が通って、商売をする好条件が揃っていた。

渡来人説

司馬遼太郎は近江人の商才という特質は、渡来人に帰すると考えるのが一番素直であるとし、 商人的素質をもった渡来人が移住し、本国に習って市を開き、比叡山と結んで専売権を確立、商権を拡張して飛躍し、全国の行商行脚に力を伸ばしたという説を述べている。

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近江商人輩出の原因はその土地の人間の気質、文化程度、フロンティアスピリッツの有無、自由な気風などいろいろな要因があると思う。

成功して財を成す人がいる反面、失敗して路頭に迷う人も多くいたと思う。
しかし、チャレンジする回数が多ければ、成功する回数も多くなる。
人間の能力は全国各地で同じだとすれば、あとはチャレンジする回数だけだと思う。
私も失敗を顧みずにチャレンジしていかなければならない。