労働節の解釈の仕方は年齢により相違有り。労働才有肉吃。

 5月1日から5日まで労働節でお休みとなり、中国全土で大移動している。
ウイーチャットモーメントで知人が下記の内容をUPしていた。

上記は「労働才有肉吃。」と記載してある。わたしの解釈は労働したからこそ、お肉をたべることができる。   =>豊かな生活ができる。=>真面目に労働しない場合、豊かな生活ができず、お肉が食べれなくなる。野菜を食べるしかない。

 わたしの湖南省の50代の男性の解釈は下記の通りである。
「労働の成果として肉があることを風刺している。」

わたしの解釈とは全く逆の意味合いである。

彼の話では文革時代の中国は皆平等で良かった。
市場主義経済導入により労働の成果として皆がお肉を食べられる(経済的に豊かな生活ができる。)社会はある意味で不公平。

市場主義経済の導入により市場では必ず勝利者が出てくる。市場経済上皆が平等であることはない。
そのために国が法を使って、所得の再分配をする機能がある。
 しかし、その所得分配機能も100%完璧に機能することは無理です。必ず、貧富の差が発生します。
そのことを考えると湖南省の知人が言うように労働成果として皆がお肉を食べることはできないことは理解できる。

以上のように中国の20代30代の人たちと50代後半の人たちの理解の仕方はかなり違っていることがわかります。世代によって、理解の違いがあることは100歩譲って認める。しかし、そのことを現実として認めることができないのが50代以上の人々であると思う。

 わたしも50代ですが、20代、30代の人々の考えが理解できるはずはない。その逆もまた同じです。
しかし、この世の中20代から50代、60代、今後もしかすると70代の人々が顔を突き合わせて仕事をする機会がふえてくることは確実である。日本はすでにそういう時代に入っていると思う。

 老害という言葉がある。能力主義でオペレーションを実行していくと、老兵はいつまでも自分の職位にしがみつくのではなくて、新兵に職位を譲らなければならない。

 若い世代の考えは理解する努力は必要だと思うが、理解はできないだろうと私は思う。しかし理解できないのであれば、最低限、違いを認めてあげることが必要になってくる。そのそも中国に来ている時点で文化・生活習慣・風習などは違うわけである。わかり合おうとするのはいいことだが、違いがあることを認めるのが先ではないかと思う。