2021年4月19日、息子の俊佑が一人で登園していると嫁からスマホに写真が送られてきた。
普通の幼稚園児は布団などの荷物は親御さんが持っていくらしいが、俊佑は写真のように自分で布団を抱えて幼稚園に行ったらしい。そのような写真を送って来る意味は「息子をチャンと教育していい子に育っているよ」ということを私に言いたいのだと思う。俊佑はすでに5歳になっている。
最近は自分の考えを持ってきており、自分のやりたいことを主張するようになってきている。ゲームなどをしている時はご飯もたべずに親の言うことを聞かない。しかし、次男坊であるので、長男の行動、周りの状況を見て、忖度して行動している時がある。こんなに小さいのにすでに自分で考えて、意思決定しているのである。
もともと、人間は自分で情報を収集、自分で考えて、自分で意思決定して行動している動物なのだろう。
現実は、大人になるに従って、角がとれて、性格が丸くなってしまって、いいおじさんになっていく場合が多いと思う。しかし、中国に来ている日本人は個性が強くて、自分で考えて行動している。悪く言えば癖のある方が多いと思う。そうじゃないと中国ではやっていけませんね。
しかし、最近中国でも自分で考えて意思決定、行動している人が少なくなっているような気がする。人間の性格はとがった性格の方がおもしろくて楽しいと思うのだが、そういう人たちばっかりだと協議した時、なかなか意見がまとまりにくい。尖った人たちの隙間を埋めるような役割の人も必要だと思う。
たとえは悪いが、城の石垣は尖った石の集合体である。しかし、尖った石の集まりでも崩れずに石垣の役割を果たしている。崩れずに保持されているのは尖った石垣の間に調整をする石があるからだと思う。人間の組織もそのようなものかもしれないと最近思う。いろいろな性格の人たちが集まり、組織体を成して機能を満たしているのだろう。
息子の明俊の性格が尖っているかはまだわからないが、尖った性格は大いに結構だと思う。