中国世界遺産「開平楼閣の村落」Village in Kaiping Pavilion, a World Heritage Site in China

神戸出身のYさんが開平楼閣に行かれたのでご紹介いたします。

2007年6月28日が世界遺産認定日です。

『ウィキペディア(Wikipedia)』 から抜粋:開平楼閣と村落(かいへいろうかくとそんらく)は、広東省開平に位置する、ディアオロウ(碉樓, diaolou,diaoは石偏に周)という高層の楼閣で著名な村落群で、現存の高層楼閣は1833棟にのぼる。これらの楼閣は華僑洋館とも呼ばれる西洋風の高層建築で、中国の伝統と西洋の建築意匠が見事な融合を見せている。2007年6月28日、開平市の赤坎鎮、自力村、方氏灯楼、蜆岡鎮、百合鎮の村落群はニュージーランドクライストチャーチで開催された世界遺産委員会会議で世界遺産リストに登録された。

広州から大型バスに乗車して約2時間程度で現地に到着できますが、今は高速列車が開通。広州南駅⇔開平南駅まで1時間13分(72元)、開平南駅からDD車(タクシー)で30分(68元)で観光地に到着
行き方時間費用DDタクシー
① 鉄道(広州南駅→開平南駅) 1時間13分 72元30分68元
②広州汽車総站→開平汽車総站 2時間70元20分50元

個人的には①の行き方をおすすめします。なぜなら、交通渋滞がないからです。

↑は広州南駅↔開平南駅の高速鉄道切符(往復)
↑は世界遺産・開平楼閣群の入場料 78元、この入場料で全部見ることができる。

『ウィキペディア(Wikipedia)』 から抜粋 (開平楼閣村落群)

19世紀中葉、米国カナダの西部大開発に伴い、ゴールドラッシュ大陸横断鉄道の建造に大量の労働力を必要とするようになった。同時期、開平地区では「土客械闘」(客家と本地人の争い)が盛んに発生して、生活を脅かされた大量の農民がアメリカ大陸への移民となって流出した。彼らは主に北米に移住して現地の労働力となった。1880年代、米国とカナダは排華法案zh:排华法案)により排華政策を実行しはじめ、中国人労働者は帰郷して現地で土地と家を買い、家庭を持つことを強要された。19世紀末から1920年代終わりに、米国、カナダ両国の経済の急速に発展に従い、中国人労働者の収入と開平華僑による為替送金額が増加して、開平に多数の望楼が建造される経済的条件が整った。1900年から1931年、開平には1648基の望楼が建造され、総計の89.9%を占めている。特に1921年から1931年には940基が建造され、総計の51.2%を占める。他、開平地方には馬賊が出没し、加えて中華民国成立に伴う戦乱が頻繁に発生したため、見張り台の建設が急務であった。1912年から1926年まで、馬賊、盗賊の略奪、学校への脅迫は8回に達し、教師、学生ら百余名がさらわれた。他に水害防止などの目的をもって望楼が華僑に必要とされ、大量に建造されて3000数基に達した。

 私の考察:開平楼閣村落群の生い立ちはアメリカと大いに関係があります。なんと1850年台から中国とアメリカはかなり関係が有ったことになります。大量の中国人がアメリカに渡って、お金を稼いで中国に戻ってからこのような独特な建築物を建設した。(1990年代から2010年頃まで中国人は日本国内の工場で働いていた人がたくさんいます。現在ではあまりいないと思います。中国が豊かになったから、行かなくても良くなった。代わって現在は日本に行き観光、爆買などをしている。)建築様式も世界各国様式を取り入れている。中国のチャーハン(炒饭)のようにいろいろなものを入れて炒めたのである。現代の中国も世界各国からいろいろな投資、技術を呼び込んで中国大陸でチャーハンを作っているのである。こういうやり方は中国人が得意とするところなのだと思います。無いものはイチから作るのではなく、外から持ってくる。その方が合理的だと私は思います。基礎研究が無いと応用できないという人もいますが、時間スピードが要求されるご時世では中国人の方が合理的に考えていると思う。

 昔、邱永漢(Qさん)の著書に建築物・家具は西洋式、嫁さんは日本人 というのが中国人の「憧れ」であると書かれていました。だから、現在でも新築マンションは西洋風のデザインなのだと思います。広州にも日本人女性を娶っている中国人男性はたくさんいます。その場合、日本人女性は中国人の家でかなり大事にされて、いい暮らしをしていると思います。中国人男性からすると面子が立つわけだと思います。(双方Happy)

 時間が有る方はぜひ世界遺産・開平楼閣村落群に行きいろいろな歴史的なことを想像してみることをおすすめします。何故、ここが世界遺産になったのかはよく理解できませんが、一見の価値のある建築群だと思います。