広西チワン自治区北海市管轄の合浦県乾江村の調査。Investigation of Ganjiang Village in Hepu Prefecture under the jurisdiction of Beihai City in Hiroshima Autonomous Region.广西壮族自治区北海市轄乾江村的调查。
合浦县の位置(広州から約500km、車で約6時間)
乾江村の位置(海岸から車で約20分程度)

広西師範大学の廖老師は今年56歳、先生のお誘いがあり、ひょんなことから大学院生の調査に参加することになりました。

私が参加した理由:①中国の村の文化、風習などに興味があった。

         ②この半年広東省を出て旅行したことがないため。

         ③中国の大学院生のフィールド調査に興味有り。

金曜の仕事が終わり、広州白雲空港に移動して、広州→北海(PM11:30)に移動、北海空港~タクシーで30分でホテル到着。今まで行ったことも、聞いたことも無い地名なので、少し心配だったが、廖老師が空港まで迎えに来てくれた。とてもありがたかった。

 廖老師との出会いは私の第二母校、滋賀大学の戸崎先生の紹介で約20年前、桂林でお会いしたのがきっかけで今でも交流が続いています。こんなに長く中国で交流が継続するとは思いませんでした。人と人の縁というのは面白いです。

 廖老師を通して、中国の大学の状況を一部理解出来ることが出来る。

廖老師の研究対象は 考古学。あまりにも分野が広い。私の個人的理解では昔の文物、文化、風習、習慣、観光などの研究。ですから、中国の昔のことは非常に詳しい。昔のことだけでなく、現在の事情も詳しい。この20年間、老師の状況をヨコから見ていると非常に勉強されていることがわかります。日本に留学(数回)、北京にも留学、中国各地、日本の各地を精力的に回られている。私の行動範囲以上に移動されている。先生の教え子は中国各地に散らばっているので、いろいろな情報を入手していると思う。中国の大学には観光学科という学科があり、私が中国語学留学時代に長澤さんいうきれいな日本人女性がわざわざ観光学の修士課程に留学に来ていたのを思いだします。日本の大学には観光学科は少ないですが、中国では比較的ポピュラーな学科。

合浦のホテルで飲茶をおごってもらう。

 2013年頃、たまたま私が実家の石川県に帰郷していたときに、運良く廖老師が金沢で開かれた学会に参加されたので、私の祖父のいる能登半島にお誘いして、一泊二日の日程で能登半島の内浦、千枚田、時国家の荘園跡、塩田などを一緒に見て回った。石川県能登半島の文化・風習などを少しでも体験していただいた。

入村にあたっては村の政府に許可をとり、乾江村の調査を開始。村の管理者に村の状況などを質問
村にある中学校、この学校は広日チワン自治区で一番古い学校。しかし、なぜ「第五中学」と記載してあるのだろうか?第一、第二中学などは見かけなかった?とにかく学校は古い。1901-2012と書いてあるから、1901年に開かれた学校ということだろう。古い歴史のある学校だけにここから有名人もたくさん排出されたそうである。
いつの時代なのかわからないが、学校建設時のことが石に文字が彫られており、当時の状況調査のために写し取っている。石板に彫られている文字は現代の中国語ではないが、繁体字で彫られている。
村内道路脇の塀には教育が大事であることが書かれている。日本の明治時代もそうだったが、国を上げて教育を奨励していたことと同じ7日もしれない。中国は今まさにアメリカと争うほどの大国となっていると思う。
明の時代の椅子。椅子の作りで年代がわかるらしい。
人民公社時代の穀物貯蔵倉庫。今は使われていない。高温多湿のため、側面にはインテークがある。
政府から村へコロナウイルスに対する連絡が街の中心部の通りにはられている。
海水を利用してエビが養殖されている。海岸からはかなり離れている位置にあるが、海水が上がってくるらしい。
鍋の販売書(昔)らしい。こういう看板が残っているのはすごい。大都会ではなかなか残っていない。時代を感じさせます。
小学校の屋上に登って撮影。周りはなにもないのどかな村。
この村では犬肉(狗肉)を食べることが出来るレストランがあります。広政チワン自治区の南側では犬肉を食べる習慣があるらしい。
村の売店で可愛い子犬がお昼寝していた。まさか食べられないでしょう。^_^
家の門には犬の像が置かれている。犬は村を守り、家を守る。と言われている。沖縄のシーサーの原型か?沖縄でも家の前に犬では無いが、獅子が置かれている。このあたりと沖縄は海の通路でつながっていたのだろう。(推測)犬肉を食べるが、犬は村を守ってくれる。このあたりは個人的に矛盾していると考えます。しかし、奈良公園の鹿は神様の使いだというが、日本人は鹿肉を食べる。同じことか?
合浦県からは商人がたくさん排出されたらしい。右側の対聯には「出外求财财到手] と書かれている。私の理解は外に出ていき財(富)を求めなさい という意味。日本滋賀県近江商人もリスク覚悟で京・大阪などの大都市に出ていき、富を得て成功した人達がいた。もちろんリスクもあるが、地元に残っていては何も変化が無いのだろうか。逆に左側の対聯にはその逆のことが書かれている。外に行くのも一つの手段だが、一所にとどまり懸命に頑張ることも有り。左右のバランスが取れている。
地元のおばちゃんがいろいろ村のことを説明してくれたが、私の中国語レベルでは聞き取れなかった。
夜は白酒で乾杯。廖先生の教え子が料理を御馳走してくれた。アワビ料理、アワビスープがとても美味しかった。白酒も半年ぶりにたくさん飲まされました。女性はほとんど飲まない。白酒を飲むのはこの社会では一つの礼儀だと感じます。
広西師範大学の研究生達、全て女子。(^^)。男子は一人もいなかった。

調査中に教えてもらった中国語↓ ①②

①村ではパパイヤ(木瓜)の木がありました。木瓜=バカ の意味。

なぜか?木頭は丸太、木偶の坊などの意味がある。

    瓜=傻瓜=バカ、あほう の意味がある。

従って、木瓜はバカを形容する。 (私は初めて知りました。)

②ひょうたんが家の門に飾ってあった意味について

 ひょうたん の中国語 葫芦(HULU)

福入(FURU) 発音が似ているので、      ひょうたんは縁起がいいので、家の前に飾っておく。

    豊臣秀頼の馬印のひょうたんだったが縁起がいいから?

 今回、広西師範大学研究生の課外調査に参加させていただき、いろいろな体験をすることができた。朝から晩までのハードな調査だったが、女子学生達は一言も不満を言わずに、日傘をさして、村を練り歩き調査していたことに頭が下がる思いです。今回、記帳な体験をさせてくれた廖老師のお礼を言いたいです。廖老師はこの村を観光地にするたえの方案を作成中だと聞きました。ただ、建物をそれらしく作り直して観光地にするより、念入りの村の歴史、文化、風習などを調査し村の物語を作り観光開発した方が観光客が村の歴史を感じて感動する。だから、廖老師は現在、村の歴史風土を調査されているのだろう。